スポンサーサイト 
-- -- --
-- --:--:--

スポンサー広告  Comment -  Trackback -  edit.

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

文字に込められた思い 
2007 04 17
Tue 11:45:49

インターネット  Comment 0  Trackback 0  edit.

先日「エゴ」の記事を書きましたが、その方よりコメントを貰いました。
連絡が来るとは書いた時点では思っていなく、憤慨した気持ちをそのまま荒い文章で投稿したわけですが。
最後の荒い文章に少々反省する思いもありますが、今でも記事本文の基本的な考えに代わり有りません。

ですが、返事を頂けたことにより彼に対しての憤慨の気持ちは既に有りませんし、文章から読むことの出来ない誤解していた部分が大いに有ったと理解するに至りました。
自分のコメントが記事にされたという事実は、どれだけ相手を傷つけたか今思えば、私自身深く反省すると共に申し訳ないと思う気持ちで一杯です。

しかし発端がどうあれ、あの記事により、とかく忘れがちな色々な問題を考える良い機会を得たと、今は思っております。


■ネット社会の苦悩
共有テンプレートのみに限らず、ネットで公開すると言うことは根本的に流用されても仕方が無く、それを覚悟の上で情報発信をするべきであると考えています。

私自身も初めてホームページを作成した初心者で有った時代(10年以上昔)、HTML言語を学ぶために先人達のソースを手本として実際に組み上げ習得し、今のように有る程度の知識を得る有意義な方法だったと思っています。
勿論、当時から「ソースそのままはまずいかな?」と、お手本にしたいと思ったホームページの管理人さんに一報し、理解を得て使用させていただいた技法も有りましたし、それに伴い意義有る交流も出来ました。

たまたま私の時代の先人達は、広い心で私のような初心者に温かい手をさしのべて頂ける事が多かったからこそ、私自身も参考にする事で、”学ぶ”楽しむ”と言う事に関してはフリーとするスタンスを持ってネットに参加して居るのだと思います。
ですから今のネットの流れとして『規制をかける』方向性が悲しくもあり疎ましくも有る訳です。
しかし誰でもが気軽に飛び込めるネット社会と成った現在、悪しき利用に関して規制をかけるのは致し方ないことなのかも知れません。

本来、HTML言語と言うのは『フリー』が基本理念に有り、誰もがネットを通じて情報を共有し活用する手段として提供されました。
その精神を重んじれば、『学んだ情報は共有すべき。』と思うところが大いに有ります。
その反面、方向性を失い悪用するものが居る以上それに対して規制や法的手段を行使するのもやむを得ない実情がそこには有ります。
しかし個人レベルで『これに準ずる』と言うのには無理が有るとも言えます。
確かに自分が公開したデザインなり文章なりをコピーされ、自分が好ましくないと思われる使われ方には憤慨することも分かりますし、実際に私自身も、アイコン画像を『自身の作品』として紹介しているサイトを見たときには、憤りを感じ作品の制作を継続する気力を無くした事も有りました。
しかし二次加工や流用に際して、一言でもコメント頂けるのなら何の支障も無いと言うのが私の考えです。
画像作品とHTML文章とを同一視するわけでは有りませんが、ネットで公開しそれを見た方が『使いたい』と思うことには共感できるからです。

自信が”絵”と言うジャンルを趣味とし、子供の頃から『模写』を学ぶ手段と考えている部分が有るからそう感じるのかも知れませんが。
「ネットで権利を主張するにはそれなりの手段を講じるべき」が私のスタンスであり、自のが作品に権利を宣言し自ら好ましい使われ方をされたいと願うならその手段も選ぶべきであり、学ぶべきだと思います。

しかし現実には、管理運営されているはずのサービスに於いても、作品の盗作による事件が生じています。
商用目的でネットを利用するサービスでさえ、運営者の不備が大きな問題を引き起こしている昨今を考えると、個人でそれを成すことは不可能に近いのも現状な訳です。
根本的な原因に『モラルの低下』が、叫ばれますがどんな時代にも悪用するものは出現し駆逐することは不可能です。

だからと言って”諦めろ”と言うつもりもありません。
自分が正しいと思う信念が有るなら貫いて行くのもその方のスタンスであり、一概に反論するつもりも有りません。

ですから人として最低限のモラルと感じた事は啓蒙し続けるべきだとも考えます。

誰かに何かを与えられたら「ありがとう」と、感謝の言葉を相手への賛辞として使う。
これは至極当たり前の事にもかかわらず、それすらもしようとしない風潮がモラルの低下を招いていると感じられます。
自分の行いを”恩を仇で返す”行為なのか、深く考えない、考えられない道徳観の歪みとそれを教えてこれなかった大人の責任だとも言えます。
模範となるべき社会(大人)が『モラルより利益』に走る行為を当たり前のように見せられている若者達が”常識”と感じても致し方ない事なのかも知れません。
しかしその常識が、人を傷つけて居るかも知れない、と言うことも理解して欲しい。

とかく人は『自分に降りかかる火の粉は払うが、他人に降りかかる火の粉は見て見ぬふりをする』のである。
自らを守るためにはどのような事も”正しい”と考えるエゴイズム。
他人を追い落としても優位に立とうとする競争原理。

とは言え、これは生物として当たり前の行動であり、間違っては居ない。
しかし人間は文明社会を築いた時からその枠組みで生きていかなければ成らないし、その手段として『モラル(道徳)』を会得しなければ成らない。

そのモラルに反した行為を是正していかなければ、ルールと言うものも失われる。
しかしその行為を一方的に責めるだけではなく、何故それは間違いなのか?モラルに反しているのか?を理解させて行かなければ何の解決にも至らない。

但しその解決方法も考えなければ成らないことが有る。
どんなに正論を述べても、ネット社会での一般的表現の『文字』という限られた表現には危険性を伴うと言うこと。
自分は普通に書いたつもりの文章でも読み手にとっては、批判や強制・中傷に感じられたりもするわけである。

『文章は簡潔に』とか言われるが、私はどんなに長文に成ろうとも言いたいことの半分も伝わらないだろうと思っているし、100の読み手がいればそれぞれ感じ方も100。
だからこそ一方的なコメントは避けたいし、伝わらなければ何度でも伝えようとする気持ちが大切だと思う。
ちょっと哲学的な表現に成ってしまったが、ブログという誰もが気軽に使えるツールが、現在では最も多くの人に伝えられる手段を持った以上、こういったモラルや感じたことを記事と言う形で出来るだけ取り上げたいと思う。

記事にしてもその都度、色々な出来事で感じ方にも変化が出てくるだろうが、その都度、自分なりの意見を書いていく、そして知って貰う事が大事だし、書いていく中で自分を見直す良い機会に成るのではと。

伝えようとする気持ち、知ろうとする気持ち、それがコミュニケーションであり、『会話』じゃ無いだろうか。
そして『相手を思う気持ち』、それがモラルに繋がり、過去ログに埋まる些細な記事でも読まれることでほんの少し何かを感じてくれればそれだけでも良いと思う。

Re comments.

Comment form.

  管理者にだけ表示を許可する 
  注意 名前、タイトル、本文を入力する事で投稿可能になります。

Trackbacks.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。