| たまには熱く語ってみるウーーーウマッウマッ! |
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今回も作品有りません(こればっかりじゃ怒られるかな?)
苦しいながらも色々描きたいと思う気持ちはあるのですが、中々筆が進まない(ペンタブですがw)
オリジナルを描こうかなと思ったり、思いつかないので模写でもと思ったり、ファンション系が良いかなと思ったり、今流行りのボーカロイドでもと思ってみては何も描けずに彷徨っている訳です。
そんな時、私はいつも色々と音楽を聴いたりするわけですが、以前はレンタル屋に行って適当に借りてきたりしていましたが、そんな余裕も無い実情なので最近は、某サイト(ヤマハの)で色々な方が切磋琢磨して作った曲を聴くことが多くなりました。
最近では結構、そこら辺のメジャーと呼ばれるプロの曲より私好みの作品も多くなりました。
そんなサイトで知り合った・・・と言うより、私が共感を覚える曲を作っている方のファンになりいつも新曲が出ると聞いてるわけです。
イージーリスニングと言うジャンルで、私も以前、MIDIを作っていましたので音楽の成績が悪い私でも好きなジャンルな訳です。(あっ!私が作っていたMIDIは某ユニットのコピーですw爆)
まぁ〜本来が、歌声に惚れると言うより、曲が与える印象とか、私の後頭部を殴ってくれる作品が好きなわけで得にジャンルは無いんですよ。
そんな中で、彼女(私が気に入った曲を作っているお方様)とのやり取りで、曲作りもイラスト描きも制作者と言うのは同じ悩みにぶつかるんだなと。
イラストでも作曲でも皆さんが見ているのは、有る程度、制作者が完成と認めた作品ですよね。
(私の場合は完成していないのに完成とする場合が多々w)
完成へ至る”過程”と言うのは、あまり披露していませんが、私などはいつも”オリジナル性”と言うものを常日頃考えながら描いているわけです。
音楽というジャンルは違いますが、彼女も又、曲作りの中で”オリジナル性”をいつも考えているのです。
長文になりそうなので後は追記で。
これって考えてみたら非常によく似ていると言うか、同じ芸術分野ですから当然なのですが、自分がイメージする全体像から造っていく人、色々と思いつくままに書き留めそれを膨らませて完成へと向かう人様々ですが、その基本となる物は「自分が生きていく中で触れた物、感じた物」を、その時の自分の感性で一つに再構成して作品として完成させる訳ですよね。
まぁ〜物を造る人は誰でも同じなんだと思います。
自分の中に無いものを表現できる人なんて居ないと思いますし、無理だと思います。(何処かから電波とかで聞く人も居るようですがw)
しかし自分の引き出しに有る物をタダ単に再構成しただけでは、「どこかで・・・」と言う印象しか与えないでしょう。
自分が好きで作っているからそれもその人の”作品”と呼べるのですが、作品を作り続けると必ず訪れるのが”オリジナル性”を求める気持ちな訳です。
誰でも「これってあの人の作品に似てるね」と、例えそれが褒め言葉でも嬉しくありません。
得に”オリジナル性”を重視する制作者には、それが凹ませるひと言事も有ります。
でも考えたら当然と言えば当然なんですよね。
同じ時代を生きてきた人達が、自分の作品を見るわけですから、同じ様な体験をしているわけで、同じ様な”記憶という引き出し”を持っていても当然なわけです。
その中で相手に”オリジナル性”を感じさせると言うのは非常に難しく、よほどの才能と努力が有ってこそ生まれるのかも知れません。
才能と書きましたが、私は生まれもっての才能と言うのは、その人が育った環境に左右されると思っています。
だから生まれ持った才能ではなく”生まれ育った才能”と言うべきでしょうね。
誰もが持っていながら”才能”と認識されるのが早かったとか、より多くの人に認められたからこそ”才能”と言われるのでしょう。
同じ人間ですから、遺伝的な物も含め”環境”が大きく左右しているわけです。
大金持ちも貧乏人も結局は生まれ持った環境であり、それを一つの”才能”として多くの人に認識されても仕方がないでしょう。
しかしその環境を変えることは誰でも出来ますよね。
難しいかも知れませんが、不可能ではないです。
話が脱線したので復旧工事(笑)
私を例にして考えてみますが、初めてこのブログとかで私の作品(イラスト)を見て「とても上手いですね才能がある人は良いですね」と、希に(希ですよw)褒めて下さいます。
でもいつも私が思うことは「何十年もやっていればそれなりに上手くなりますよ」と言うことなんです。
私の実年齢を知っている方なら想像できるでしょうが、一つの物事を長年続ければそれ相応の成果は誰にも出ると言うことです。
私だってちょっと前までは子供の落書きとあまり変わりませんでしたから。(^^;
まぁ〜”好きこそ物の上手なれ”と先人が言っているように努力すれば有る程度は、出来るようになるんです。
それを仕事にするのも趣味で終わるのもその人の気持ち次第。
(私はチャンスを物に出来ていませんが。・゚゚・(>_<)・゚゚・。)
そうは言ってもこれが”個性””オリジナル性”として認識されるのは大変な事です。
先にも書きましたが、人は生まれ育つ環境によって自分が持つ知識や経験という引き出しが有る程度、同じ時代だと似てくる物です。
その中で、”オリジナル性”を出すためには、試行錯誤を続け新たな引き出しを作りながら自分が納得できる物を目指して続ける事で生まれるのでは無いでしょうか?
勿論、簡単に見つかる人も居るでしょうし、何十年も見つからず未だに探している私のような人も居るでしょう。
でも考えてみたら、オリジナル性として認めるのは自分じゃなく、見た人(閲覧者)な訳で、それがより多くの人に認識され初めて”独創的だ”とか”○○さんらしい”と呼ばれるのです。
それまでに辿り着くためには、悪戦苦闘の毎日です。
自分が「今回のは自分らしいなぁ」と、思っても他人に与える印象が、「○○さんに似ている」と思われたらそれは仕方がないことで、落ち込むけど自分に「まだまだなんだなぁ〜」と次へ続く貴重なご意見として受け止めるべきなんでしょう。
まぁ〜言われた本人はかなり凹みますが(爆)
でもそこで立ち止まっていたら行けません(自分に言い聞かせてますw)
作品を作るというのは、よほど突拍子もないジャンル以外は、自分の中にある経験を再構成して編集してカスタマイズして・・・・(同じ意味だw)・・・・形にする事な訳で。
思いついたら何はともあれ形にしてみる。
そして自分が納得できるまでチャレンジを続ける事が大事なんですよね。
まぁ〜どんな事でも完璧に納得できる事なんて無いんですけどね。
それでも作り続けることで、何かを掴めるかも知れない訳で、何もしなければ当然、何も生まれません。
じっくり気長に一つの作品に心血を注いでも良いですし、思いつきでジャンジャン作っていくのも又手だと思います。
忘れてはならないのが、自分が何を求めるのか?
プロになることなのか、自分が納得できる一つを目指すのかそれはその人の自由ですが、例え迷路に紛れ込んでも諦めたらそれまでです。
苦労はその時は辛いですが、いずれ何かの役に立つときも有ります。
って、成功もしていない私が言っても仕方がないですけど(^^;
まぁ〜心構えって言うか、何かを作り出すと言うのは大変ですが、好きな事なら苦労も苦労と思わないで続けてみようじゃないですか。
老後のためにも(笑)
◆ Re comments.
オリジナリティとの事ですが、ここまでの人生で、接した既存作品の影響は否定できないものですよ。で、その中で、自分也に熟成したのであれば、それは、もうオーナーさんのモノである訳ですよ。
そのぐらいの気持ちで行きましょう^^
「気楽に。且つ慎重に」ですよ^^
切り貼りした作品だとしてもそれを編集した人の影響も少なからず有るわけで難しいですよね。
まぁ〜私なんていつも「こんなの描きたい」とか自分の描きたいやり方で日々変わるので一貫していないところがオリジナルと言えば言えるかも(笑)
取りあえず作ってみて仕上がったときに「これはオリジナルと言えるだろうか?」と考える事なんでしょうね。
誰かの影響を始めに考えてしまうと何も作れなくなると思いますし。
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